「何かを判断する要素って何?」
8月某日
色々とやる気を失ってしまった私と、そのシェアメイトの友人は、
山へ行く。
山梨へ行く。
シェアメイトの友人がご用達の、ちいさな村のような、場所。
標高は高く、空気が澄んでいる。
川の音が、まるで子宮に居る時の音と重なるんだとかで、
どうも落ち着く、心がゆっくり流れるリズムを見つける。
この村のような場所は、きっと過疎地域。
でもマンガ喫茶があるのだというから驚きですわ。(笑)
友人に連れられてついた山奥のマンガ喫茶。
そこは古民家を自分たちの手で改装した空間で、
昔は馬小屋だったという今でいうガレージのようなところが、いい感じの土間になっており、そこにマンガの棚とソファがあって、マンガ喫茶部分となっている。
そして、ONE-PIECEに関しては、最新刊まで揃っているではないか!
やるぅ!
土間を上がると畳が広がっていて、ごろんと寝れるし、土間の延長にキッチンがついているからドリンクだって飲めちゃう。
そして、キッチンにある勝手口をあけると
野外デッキにつながる。
まぁ、トタン屋根を敷いているようなスペースなのだが、
なんせ満点の星空。
何にもないって、やっぱり良い。
あるものを、こんなにもキラキラにさせるんだもの。
山はひんやりする。
軽く羽織って、ビール片手に語らう。
隣にいるのは、マンガ喫茶に来ていた若者。
彼は、近所に住んでいて、別の町で教育の事業をしている。
ルックスグッドで、頭のキレる人のよう。
「何かを判断するときの要素って何?」
夜空の下、そんな会話が飛び交う。
彼は、「色んな道があるよ」と子どもたちに伝えたいこともあり、
大人と触れ合える教育スペースをつくっている。
そして、よく聞くのだという、この質問。
ふぬふぬ。
私は、、大学生の頃は、「大学生という期間」×「後悔しないか」をベースに判断することが多かった。
なぜなら、大学生とか高校生とか、人生の中でもかなり希少な時期に付随するなと考えていて、そこを大事にしたかった。
そして、中学生のころに後悔したことがあり、後悔しないか考えるようになった。
だけど、今ってどうだろう。
「今」は、この瞬きにしかないのだけれど、社会人になってしまえば、
「1年目」はあろうとも24歳でも27歳でも、だからって特別な時期かどうか、少しわからない。
「後悔しないか」なんて、もう、この後の自分がその選択を「後悔」と捉えるか否かの問題になってくるのではないか。究極、全て正解に出来るのではないか。(殺人とか命に関わるもの以外)
なにか、確固たるものが、社会にでると必要なのだ。
私の大きなもの、それは夢でもあり、判断材料になっている。
それは、「自分のこどもにとって有意義か」。
結婚していないし、子どもも居ない。
だけど、将来は子どもが欲しいと思っている。
例えば働きマンになって、料理や家事の基本、草花の名前が伝えられなかったり、寄り添う時間が取れないような生活になりたくない。
これは子どもに伝えられることかな?という疑問は、自分の生き方の軸の一つ。
笑えるかとか、ワクワクするかとか、色んな判断の要素があると思う。
社会に出た上で、なにかを判断するとき、
「自分の軸」が随分必要になってくるのだなぁと。
改めて実感したのでありました。