あかねの日常ハンティング

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刹那な毎日をハントしていきたい。毎日一歩一歩。旅と日々について

婦人科系の病気になって思い直したこと。-23歳女子の場合-

 

こんにちは、

卵巣に嚢腫ができ、無事に摘出手術し1ヶ月ほど経った一人の女性アカネです。

 

婦人科で産声を何度も聞きながら、

お腹の傷を見て、痛みを感じて、

思ったことがあります。

 

それはずぅっっっと、願っていたことを、その考え方を、

少しずつ覆すような考えでした。

 

ひとりの女性としての本能的な願い

これはすごく、本能的なものだと思うのですが、

私はいつか子どもを産みたいと思っています。

 

ツワリで苦しんでも、

鼻からスイカを出すほど痛みを覚えても、

 

大きくなっていくお腹の中で蹴っている子を想うことや

生まれてきたばかりの子の小さな手が私の小指を必死に掴む愛おしさには

きっと変えられないだろうと思うのです。

 

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だから産みたいと思っていました。とても。

 

 

 

「皆みたいに産めるんだろう」って思っていました。

 

 

 

もちろん、手術は成功して、こどもを産める状態ではあるけれど、

その経験をして、

産めること、それって絶対じゃないなと思ったのです。

 

いくつもの壁を越えて、ちいさな隙間をすり抜けて、やっとやっと小さな命が宿るのです。

 

しかし、ちいさな命が宿って大きくなって、出産の場面になっても、死産になってしまうことも。

「となりで産声を聞きながら、死産をするなんて、なんて残酷なんだろう。」

保険の授業で観たその場面、そのビデオを、今でも思い出すことが出来ます。

 

 

私は「戌年やし産めるやろ!」(なんの根拠w)と思っていたので、

結婚する人は子どもを作れる能力がある人がマストだと思っていました。

「その能力がない人と結婚するのは、、、家族ほしいし、どうしよう」っと考えていました。

 

 

 

でも、もし、私が産めない身体だったら?

 

 

 

もし相手の人が自分のこどもが欲しくて、

わたしが産めない身体で、ただその理由で離れていってしまったら?

 

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それは、なんというか、唖然とする。

悟ったような、死んだような、そんな顔で、何を見るでもない目をするだろう。

 

彼は正しい。

彼は人間として正しい選択をしているのだけど、、、。

 

私は、その理由で離れられるのは、

きっとこのうえない屈辱と感じる。

今のご時世、「男の子を生まなくちゃ!」みたいな大奥社会はないと思うのです。

 

現代の女性としての想い

 

そうして、手術のおかげで色々と実感が湧いて、

 

わたしは結婚して家族はほしいけど、実子にこだわらないようにしよう。

子どもが出来なくても楽しめる、そんな人がいいのかもしれない。

 

そんな風に思うようになりました。

 

 

お茶の間に出てくるような「普通」の家族は、

当たり前のようで、とっても難しいものの上にあるんやなぁ。

 

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子どもを持つ前に、

子どもを持てない人の気持ちを少しでも想うことができて、

 

本当によかった。

 

 

ありがとう病気!!

でも、もう手術は勘弁!(; ・`д・´)

 

卵巣嚢腫のブログは以下▼

 

nichijyouhunter.hatenablog.com

 

 

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