家族とか愛とか倫理とかについて考えた本『i』
2018年5月
西加奈子著者の『i』を読みました。
年月によって受け取り方や印象に残るところが異なるので、
日付をメモしてみました。
西加奈子さんの「シリアのテヘラン生まれ」「日本育ち」のバックグラウンドを匂わせる今回の登場人物設定で、1人の女性が「自分の居場所」「生きているという実感」を見つけていくおはなし。
いままで西加奈子さんと言えば、大阪弁の聞こえる作品が多かったのですが、今回は標準語になっていて寂しいと、少し思いながらも読み進めていきました。
今回の主人公は「シリアからの養子」でした。
設定のクセが強い。って感じですが、そんな「シリアからの養子」の主人公は「裕福なアメリカ人と日本人の夫婦」によって育てられます。
そこだけ紹介しておいて、ストーリーは内緒にしておこうと思います。
以下は、私が自分を重ねて考えたところ。
本って不思議ですよね。読み返すたびに、違うところが光って見えてくる。
今回読んでみて「あ、そうか。わたし、、、」と、自分の考えている残酷さに気付いたことがあります。
それは、「子どもを産みたい。だから家族になることを選ぶ」という考えです。
一見普通に見えますが、最近思うのです。
「わたし、子どもができない可能性もある」
ということ。
子どもって奇跡だなぁ、と思うようになったのは、
「妊娠するということがきっと難しい」という状況に自分が今いるからだと思います。
今のパートナーに要因があると考えてしまっているのが悪いところですが、「難しい」と思う理由は、、、
やっぱり言えないけれど、つまり、向こうに問題があるようなこと。
「もし、この人と夫婦になっても、私、子ども産めないかもしれない、、、。」
そう思うと、胸が張り裂けそうでした。
辛くなって泣いていました。
何年か一緒にいるとなると、彼は私を抱こうともしなくなるのではないかと、
虚しくなりました。
でも、今は「まだ」大丈夫。分からない未来を想って別れるのもどうなんだ。
ううん、生物的に生殖機能に不安を感じているなら別れた方がいいかも知れない。
そんなことを、傷つけるのが嫌で自分の中でグルグルしていました。
『i』の主人公、アイは、とても子どもが欲しかったのですが、
子どもを産むためには治療が必要だと分かりました。
膣を見られながら検査や治療をしいて、精神的にクタクタになって、それでやっと授かった子どもが、もうすぐというところでお腹で息を引き取ってしまう場面があるのですが、
そこで「あぁ、普通に何も問題がないと思えても、産めないこともあるんやなぁ」と改めて「当たり前」に気付きました。
あぁ、心底望んでいた赤ちゃんをお腹からかきだす場面、どれほど辛いことやろう。
もう同じ目で世界を見ることはなくなるんやろうなぁ。
そんなことを考えながら、自分がパートナーに抱いている負の感情を重ねました。
あぁ、自分が「お前とおっても子どもできへんねんから別れる」と言われれば、その人に対してどんなに嫌悪感を抱くだろう。
「そういうお前は、どっかの跡取りか、将軍きどりか。今どき古いねん!」と怒りと虚しさと、もっと呆然と立ち尽くすような何かを想うんだろうな。
「愛」とか「家族」とか、思っていたよりもずっと難しい。
ぜんぜん簡単じゃない。
当然みたいに、生まれた時からずっと隣にあったものが、
本当に奇跡なんやな。
詩人みたいやけどさ、きっとすごいことなんよね。
あかん、あかん
こんな質やから生きるたびに欲なくなっていくねん。ほんまこわい。
生きてるだけでええやん!になってまう。もう十分やねんけど!ってなるねん。
「向上心」ってやつ掘り出さないと怠惰の塊になる。
よいしょ、「毎日」に感謝して生きようっと。