あかねの日常ハンティング

あかねの日常ハンティング

刹那な毎日をハントしていきたい。毎日一歩一歩。旅と日々について

適応障害の症状がでてから、行ったこと①初期の無意味な焦り

 

こんにちは、鬱ってほどでもないけれど、

着替えをする作業、「引き出しを出す」「服を出す」「服を広げる」「袖に腕を通す」といった一連の動きにいちいち「や、やるぞ、、、!」と気合を、勇気を入れなければならない状態になり、しかもやり終わった後、相当疲れているという状況に、自分の精神状態が、健康ではないことを知ったアカネです。

 

それは、9月くらいのことで、そこから5か月くらいたちました。

あら、そんなに経ってしまったのか、、、なんて今さらながら思いますが、

 

今まで色々な工夫をしてきたので、備忘録も兼ねて、また同じ状況の方に参考になるように、ここに記したいと思います。

 

 

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症状①:まだまだ障害の色が強く落ち込みやすいが、同時に何かしなければと焦りを感じる

8月末から仕事を休職して、この精神状態を戻そうと思っていました。

戻れば、今見ている世界も少し違って見えるのかもしれないと。

 

しかし、1ヶ月では回復しませんでした。

 

私は休職期間の1ヶ月に結果を出さなければと思っていたし、職場の先輩は「好きなこと、得意なことやってみて、ゆっくり過ごせばいいよ。」といってくださいました。

そこで、私は「好きなことをやらなければ!」「じゃないと前の精神状態にもどらない!」と焦っていました。

こうやって自分で判断できず、「やらなければ!」と焦ってしまうのも、それで苦しくなってしまうのも、今思えば、まだまだ症状が出ている状態だったのだと思います。

 

でも、ひたすら焦りを感じるほかありませんでした。

 

「今までこんなことなったことない」「ずっとポジティブに生きてきたのにこんなことになるはずがない」「嫌いな勉強も誰よりも、苦しい部活も、人前に出ることもやってきたのに、なぜ急にこんなことに!?」と、

今まで「自分と思っていた部分」と、「今表れている自分」に差があり、気持ちも脳も自分の症状に追いついていけませんでした。

 

「自分がこんな状況になるはずない!」

 

って思っていました。

 

地元に帰っても、毎晩涙が出ました。

行き場のない苦しさや、不甲斐なさ、情けなさ、胸いっぱいに、ぜんぶを覆いつくして。

 

私は、「自分の好きなこと」とか「得意なこと」がスグに出来ませんでした。

なんにもやる気が出ませんでした。

生きているのが申し訳なくなることもありました。

 

症状①でやったこと:散歩、きれいな景色を見る

奈良にいた私は、たくさんお散歩をしていました。

のんびりとしたその風景や、あたたかな風、何気ない人々の日常は、この上ない安らぎを与えてくれました。

 

それに、私は今では信じれないくらい毎日眠かったのです。

歩いても眠くなりました。

だから、人気の少ないベンチに横になったり、鹿と寝たり(話盛り気味w)、どこまでも「のんびり」と散歩しました。

 

これは、私の中で、結構「良かった」と思います。

心地よかったのです。ただ散歩するだけの日常を愛することができました。

というか、家を出て「散歩にいけた」という満足感があったのかもしれません。

 

起きることができれば、家にいて、活動することができれば、家事をする、家事が終われば、散歩に行く。

 

つまり、散歩という行為は、その頃の私にとって行動における上位階級だったのです。笑

 

そんなこんなで、次の私は、さらに上位な行動を求めるようになりました。

→お次の症状は「人に会った時に疲れる」現象に対して対処案です。

 

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