あかねの日常ハンティング

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刹那な毎日をハントしていきたい。毎日一歩一歩。旅と日々について

アカネの22年◎まとめ:夢と向き合う

こんにちは、アカネの22年まとめ、つづきです。

以前は、保育所から高校卒業までのまとめです。

 

nichijyouhunter.hatenablog.com

 

 今回は大学~の巻き!

 

大学生

さて大学へ。小学校からの友人やそのママたちは、私の行動に毎回驚愕。

「あかねちゃんって、そんな子やったっけ!?」

いままで休みもほとんどなく部活ばかりやっていたので、羽がバサバサ。広がってはどこかに飛んでいったのでした。

 

やりたいことリストをつくって、やったらハンコを押していきました。

 

list 1: 被災地に行く(東北大震災)

被災地に訪れた時は、なんにもなくてビックリしました。

ガスも水道も電気も通っていない場所。

ゲストハウスを作って、よその人が滞在できる流れをつくろうという計画に参加しました。

 

私は「力になりたい」というよりも「知りたかった」のです。

一体ここで何が起きて、何が本当で、何が求められてるのか。

 

だから、楽しそうなところに行きました。

 

そこで、「何にもない所にいると、いまある全てが、全部になる。」

と感じました。

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それはもう、とてもとても豊かな感情でした。

隣の人の話し声、のびやかなギターの音、うるさいほどの星空。

もう、なにも要らない。

私は、大切なものに、なんとなく近づいた気持ちでした。

 

list 2: 留学

高校の時から留学がしたくて、大学を選び、

大学では留学生と交流し、スピーキングに力をいれて留学しました。

たった半期の留学でしたが、全員外国人でも輪になって話すことができるようになりました。

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そこで、ホームステイ先のファミリー尋ねるように話していました。

どうしてそんなに幸せそうなの?うちではお父さんは夜遅くに帰ってきて子どもの成長を知らないし、お母さんはいつも怒っている。日本はどこも忙しそうで、幸せになりたいはずなのに、幸せなのか分からない。」

彼らは必ず、家族の時間を取っていて、必ず夫婦の時間を取っていました。

それでもお金はあって。。二人とも教師で、バリバリの経営者とかではないのに、、、。

私は不思議で仕方なかったのです。

 

彼らはこう言いました。

「僕たちは、自分たちは何が一番大事で必要か知っていて、それを大事にしているだけだよ。

自分の手の中に入るものがキチンとあれば、それさえ大事にしていれば幸せなんだよ。」

 

シンプルでした。でも、きっとそうなんだろうと思いました。

 

(私は、、、、身近な人、かな。死ぬときに思い浮かぶことってなんだろうって、そんな時にはきっと何かを成し遂げたことではなくて、どれだけ大事な人の傍にいて、感謝を伝えられるかだろうな、、、。)

 

ぼや~っと、

「資本主義に必要な欲」みたいなのが、薄れていきました。

 

 

list 3: やりたい、をやってみる

「英会話カフェいつかやりたいな。」「被災地のものを使った風評被害防ぐイベントやりたいな。」「トマティーナ祭行ってみたいな。」「多国籍キャンピングツアーに参加してみたいな。」「幼いころの夢を叶えるのも面白そう(人魚になりたいby6歳の私)」「外国のちいさな村に行ってみたいな。」

 

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(人魚になったよ。自家製スーツ。笑)

 

私は夢を叶える叶えないは、まず、「やるか」「やらないか」だ。

と思うようになりました。

今では、これらの夢、「え、大変やな!」って思っちゃうのですが笑、やってしまえば意外とできたり、足を動かせば意外と目的地に着いていたり。

 

導かれるもの、導くものはあるのだ!!想い、行動すれば、ソレはやってくるのだ!!

そんなことも思いました。

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ある、ちいさな町を目指していた時。

私はヨーロッパの田舎を見たいと動いていました。

フランスの南、ちいさな駅に着きました。飲食店でさえ少なく、スーパーがやっとあるくらい。

そこで、「世界で最も美しい村〇選」なんかで記事されていた場所に行くべくバスを待っていました。

すると、青年が声をかけてくれて、「バスがもうないこと」「お母さんの家に向かう途中でそこに車があるから送ってあげれる」ということを伝えてくれました。

私は数分その人と話して、一緒にお母さんの家に向かうことにしました。

 

オリーブの木やブドウの木を越えたところに、

2頭の馬、1匹の犬、1匹の猫を飼っているあたたかい家にたどり着きました。

お母さんは女優さんのような可愛さで、セラピストというなりの優しさがありました。

その日は、泊まらせていただくことにし、部屋を紹介してもらいました。

 

なんと空いていたお部屋には、着物がかかっており、桜の壁紙のある可愛らしいお部屋だったのです!!

はるばるやってきた、この日本人は、ここに呼ばれたのか⁉と感動しました。

 

畑に囲まれた田舎、優しい光で目を覚まし、どこからか鶏の朝の声が聞こえる。

「あぁ、こんなところに来たかったし、こんな出逢いがしたかった。」

と思いました。想えばソコに呼ばれるのかも知れない、そんな気がした経験でした。

 

その他にも、色々とし、、、。

 

就職へ

就職するかしまいか考え、就職を選び、

日本にするか海外にするか考え、日本に貢献したいと思い日本にし、

何に貢献したいかってところでは、「人」や「暮らし」が良くて。

社会や会社が分かりやすいであろうベンチャーを選びました。

 

ベンチャーの成長重視で、社員に負担をかけていく姿勢とか、

休みも仕事するとか、残業は当たり前とか、

東京という足早な世界観とか。

 

他の世界を知っているだけに、よりストレスになりました。

 

自分が大事なもの以外に、たっくさん時間を費やすことに

「これが私の人生なの?」

という疑問が鳴りやまなくなりました。

 

気付いたころには、心は病気になっていました。

 

治すために休職し、そして退職することにしました。

 

そして、次に進むために準備中の私に、至る。

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私には、やっぱり夢があるのです。

 

将来は、地域とゲストが混ざって「風土」なゲストハウスをつくりたいと思っています。そこで、混ざり合うことで、訪れた人に新しい何かが生まれれば良いな~って。

それに、たくさん外国に出ていっては、たくさん助けてもらったから。

今度は受け入れ側にまわりたい。

今度は私も何か伝えられる側になりたい。

 

そして、資本主義とのバランスが上手く取りたい。

モノがどうやって作られていて、どんな人がどんな想いで作っているか、知ってからモノが買えるようになれば、生産活動も消費活動も奥行きがでて、より面白く、より豊かになるのではないか。

そんな買い物ができるようなシステムを作りたい。

 

私のおばあちゃんはタイピストで、お母さんは小説家になりたくて、

おじいちゃんは鉄工所として家の中に工場があって、お父さんは機械設計者で。

 

私は、やっぱり何か伝えたいし、設計してつくりだしたいのである。